投稿日:2006-07-16 Sun
「どうして地球温暖化防止京都会議が
京都という地で開かれたのか ちょっと考えて
みてください」と以前渡辺君から言われたことがある。
うーーんやっぱり「環境都市」だから?
つまり自転車交通だとか意識がけっこう高いとか。。。
そんなことぐらいしか思い浮かばす、「まあ
どうせたまたまでしょー」と思っていたら
あ もしかして?と妙なつながりにちょっと気づいた。
京都は天気の力がほんとにすごい。
最近は毎日学校に行くたびに背中は汗でびっしょりで
汗じゃないなら今度は雨でびっしょりになり
シャワーを浴びてきれいになったつもりでも
寝てる間に汗がどんどんでてきてしまって
朝になったらベトベトだ。 そんな風にいつも
ベトベト。雨が降っても晴れてても。そして
雨が上がった後でも湿気がすごくてまたベトベト。
こんなにも天気の力を感じるところ
そんなところは始めてだった。
こんなにも天気に翻弄されるけど
でもポジティブにとらえてみると そのおかげで
会話が生じることがわかる。イギリス人は
天気の話で会話をはじめる、というのを
聞いたことがあるけれど 京都でもそれは
とっても簡単で、誰もがみんな暑そうだから
「暑いですねーー!!」と言えばいいし
雨がすごいと「すごい雨ですねー!!」と言う。
そのクッションで、そこから会話が始まってゆく。
ところがこれが東京だと 多分こんな会話は
そう簡単におこらない。だって雨が降ろうが暑かろうが
行くとこほとんど空調完備で 外の天気にそんなに
左右をされた記憶がない。それに「この部屋寒いですね」
という空調に関する話は、「本当にみんなも
そう思ってるかな?」というと違うかもわからない。
だから遠慮して空調の話はしにくいけれど
天気の方は「明らかに顔に暑いと書いてある!」
という感じがするからどんな人でも「暑いですね!」と
言えるんだ。
そんな風に朝は晴れてて でもお昼には天気雨、
それがあがるとありえないくらい暑くなって汗びっしょりで
夕方になれば雷鳴って大雨が降り 夜になったらまた
何事もなかったかのように止んでしまう、
そんな天気の変動の激しい京都、気候の変化の
激しい京都、だからこそ、思い起こせば
「気候変動枠組み条約」という名前のあの会議が
この京都にて開催されたのかもしれないな。
こんなにも激しい変化を もっとすさまじく変化されたら
それはちょっと耐えられない。今日は祇園祭の宵宵山。
山鉾たちは晴れたと思えば大雨になる天気の下で、
一体どうしたらいいんだろう?
そんなことを思いながら日々天候に想いをはせる。
まだ雷は鳴り止まない。
祇園祭でも雨に降られた飯田でした。
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投稿日:2006-06-08 Thu
おひさしぶりです。飯田です。今回は長いこと疑問を感じている自転車生活について書いてみます。
京都にいるとよく京都の自転車生活ぶりを
礼賛している声を聞く。確かに京都の自転車っぷりは
すごいと思う。京大の前なんてとくに昼間は
北京じゃないかと思うほど(行ったことないけど)
自転車でごったがえしてる。
しかし、本当に天国なのか?むしろ地獄、とは
言わないまでもこの無法地帯の自転車王国は
かなり危険だと思う。
まず京都に来て驚いたのが自転車のスピードだ。
基本的に多くの人の交通手段が自転車なので
自転車を飛ばし、急ぎ、競い合う傾向まである気がするが
車道で飛ばすならわかるけど、歩道でぶっ飛ばす人が
ものすごく多いのだ。京都と言えば観光地だし
町並みを誇る街。もちろん歩行者もたくさんいる、
のにそんなことはどこ吹く風で、本当にびっくりするほど
飛ばして走る人がいる。
しかも最近はi-podの普及のせいだかイヤホン率が
かなり高い。「どこ見て走ってんだよ!?」と思う人や
「なんでそこで突っ込むよ??」と思うような走りかたを
する人は往々にしてイヤホンだ。おーい自分の世界に
入らないでよー こんなに狭い道なのに!
狭い道を自動車、歩行者、両側からくる自転車が
びゅんびゅん走る。昨日はそれが気になって仕方がなくて
今出川から三条くらいまで動向を観察することにした。
そうするとやっぱり危ない人はイヤホンの人と
携帯電話を見てる人!オイッ!メールするなら
止まってくれよー 危ないってば!
携帯電話をいじりながら走っている人は当然
注意力が散漫(ってか前をほとんどみていない)なので
前方になにがあるか気がつくのがすごく遅い。
イヤホンの人は自分の世界が中心になっていて
赤信号やカーブでも他をきにぜずビューンと飛ばす
傾向がある。そんなに危ない走りかたするんだったら
車道に行けばいいじゃんか。。。
一年間まがりなりにも京都に住んで自転車生活をして
自転車によるストレスを感じに感じた私はもう自転車を
放棄しようかと思ってしまった。遠くから見ていたときは
「環境にやさしいわー」と思っていたけどルールがない
自転車ほど恐いものはないと思う。
自動車の教習所に行った時、初めてまともに交通ルールを
知った私はどうしてこんなにも世の中の基本ルールを
こんな専門学校みたいなとこでしか教えないのか
不思議でしょうがなくなった。これってさ、右折の時の
仕方とか、表示の見方とか、義務教育でやるべきじゃない?
車だってスピード出す人、信号を無視する人も
たくさんいるけどでもそれでも一応「守られるべき」
ルールがある。信号を無視する人もスピード違反を
する人も、それが「違反」であると知っててそれでも
やっている。自転車がおそろしいのはルールがないか、
あってもほとんど浸透してないことだろう。
以前私は地元で自転車をこいでいたとき、目の前に
「邪魔な人」がいて、チリンチリンと鐘を鳴らした。
普通は一回鳴らせばどいてくれるのに、彼は三回鳴らしても
どいてはくれずに振り返り様にこういった。
「ここは歩道だから君が車道にいくべきた!」
そのときわたしは「はあ?」と思って何いってんだ
ここは日本だと思ってた。ここはこういうルールなんだよ、
みんな歩道をこいでるもん。(↑彼は外国人だった)
しかしずいぶん後になってからだが、彼の言い分も
もっともだと思うようになってきた。基本的には
日本においても自転車は「車」だから車道を走るものでは
あるし、そもそも「歩道」は歩行者のためのものだから
歩行者を無理にどかそうというその根性が間違っていると
彼は言いたかったのだろう。実際そうだ。急いでるからと
その勝手な理由で歩行者を「邪魔者」扱いしてはならない、
最近はすごくそう思う。
かといってもちろん急いでしまう気持ちもわかるし
ゆっくり漕げない時もある。でも大切なのは気遣うことでは
ないのかな。自転車、とくに大きい自転車に乗っていると
なんでなんだかビューンと行きたくなって遮るものが
「邪魔なもの」に思えてしまう。でもみんながそんな気持ちで
いるから京都の道はいつも危なく、バス停前は一触即発な
雰囲気だ。これが雨だと随分ちがう。
雨の日はみんなけっこう気遣ってるからそれなりの
秩序ができる。雨の日の道はどことなく優しさが漂っている。
だったらさ、もっと晴れの日だってお互いに気を使って
そうなれたらいいのにね。まともなルールが存在せぬなら
気を遣うしかないんじゃないか。そう思って最近は
いつでも譲るようになってきた。
いまのところ、「譲り合う」くらいしかわからないけど
この自転車の無法地帯をもっと「天国」にするために、
やるべきことは本当にたくさんあると思う。まず
きちんと皆の納得の行きやすいルールを設定し、それを
浸透させること、それからやっぱり自転車道。
自転車で環境都市を目指すなら、ただ「乗ればいい」
だけじゃなくって、心地よく、皆が気持ちよく乗れたら
いいと思う。もっとみんなが本当にいいと思えるような
自転車都市へ 向かって行けたらいいよなあ
それにはやっぱり 政治の力も必要なんだよね。
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投稿日:2006-05-23 Tue
新しく入った飯田です。最近京都にいて気になることについて。「京都=パリ説」というのが巷でささやかれている。
関西のMeetsという雑誌とか、何年かのFIGAROの
大々的な特集で、この2つの都市の類似性が
どれくらいあるのか、またはないのかが たまに
物好きな人の間で議論されているようなのだ。
残念ながら私はそのFIGAROの特集を買い忘れて
しまったままで、詳しくすべては述べられない。
でも本当にこの都市とパリとの類似性は
山ほどあって街を歩くと驚くことに事欠かない。
まず第一に川がある。しかも街にとって非常に
重要な川である。東京の隅田川と京都の鴨川とでは、心理的な
重要性がまるで違う。隅田川、を、現在でも東京の
中心にあると思える人は少ないだろうし
実際地図見てみると、いかにも隅においやられて
しまった感がある。
ところが京都の鴨川とパリのセーヌ川の重要性といったら
それがない京都もパリもありえない、という程に
心理的な重要性を占めてるし、実際地図をみてみても
ほぼ真ん中を通ってる。
次に私が気になるのは喫茶店の多さである。
京都は1つ通りを歩けば小さな喫茶店に簡単に
3軒くらいあたってしまう。華やかな「カフェ」ではないが
地元の人に愛されている感じの小さな店である。
東京はどうかといえば、もう東京にはそんなにたくさん
喫茶店は存在しないし、あってもドドールかスタバの
ようなお店になっている。
さて、ではパリはどうかというと、これまた個人経営で、
地元の人が常連客の、華やかでないカフェが非常に多くある。
実際パリを何気なく歩いていると華やかなカフェに
ガイドなしでたどり着くのは困難で、入るとじろっと
見られるような地元中心のカフェというのが非常に
多くを占めている。
第三に、気になる点は、宗教建築の多さである。
私はパリにいたときに、どうしてこんなに巨大な建物が
多いのか、不思議で不思議でならなかった。自分の頭の
はるか彼方まである扉、大きすぎる回廊などなど、
「かつてここには巨人が住んでいたのだろうか?」と
思わせるようなスケールの建築がたくさんあった。
その気持ちを 昨日京都で味わった。
何気なくお寺に行きたい気分になって、勉強は
ひとまずおいて、自転車を走らせてありそうなところへ
行ってみた。すると浄土宗の総本山とやらに出くわし、
じゃあそこに行ってみよう、と山の麓へ入ってみる。
するとそこには非常に大きな門がある。
なんか知ってるこの感じ、、、
あ、そうか、南禅寺の門もこんな感じの門だった。
あれ、知恩院もそうではないか?これは一体何なんだ?
人間にはとても大きくて、ということは、神のための
門なのか?おそらくそういうことなのだ。
ここでまた、私はパリを思い出す。
階段をのぼり、本堂へ向かう。非常に涼しく
広々とした本堂はとても居心地がよく、観音様にお参りを
するともやもやしていた心もだんだん晴れてくる。
お参りを終え、外へと向かう。
その時広がった目の前の景色ときたら!!
京都タワーも町並みも 実はみんなここから見渡せて
ああ階段を上がって来た甲斐があったと
なんていい景色なんだろうと 本当に清々しい気分になって
またそして思い出す。
この感覚もなんか知ってる。
そう、パリのモンマルトルの丘にある
サクレクール寺院の出口だ。
暗くって、ひんやりとして、小さな装飾が色んなところに
散りばめられたサクレクールの寺院の中をゆっくりまわり
出口にまわるといつも驚く。外のまばゆいばかりの明るさに、
そして眼下に広がるパリ全体の光景に。そして
ああ来てよかったなあと思うのだ。
やっぱり京都とパリは似ている。市民意識の高い所も
右京区、左京区、右岸、左岸も、左側が知的中心地と
いわれることも、歴史を大事にしてる所も、観光客が多いことも。
東京とパリは全然似てなんていないけれど
なぜか京都とパリは似ていて フランス人も一杯住んで
フランス語にも事欠かない。どうして京都なんだろう?
京都って「日本的」と言われているけどヨーロッパ人は
「むしろヨーロッパに近いものを感じる」と言うことも
あるらしい。多分彼らには現代の東京こそが「日本らしい」
ものなのかも。京都は独特な場所である。どうしてこういう
風になったか、どうやって維持してきたのか
もう少しそれを探っていきたい。
では次は渡辺君にお願いしたいです。
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